普段から事件や事故を調べるのが好きな母と、若者の自殺者の動画をご飯を食べながら見ていました。
自殺と言うとかなり重いイメージがあって、近寄り難いと思いますが、私にとってはかなり身近でした。
というのも、私は小3の頃からいじめを受けていました。よく聞く典型的なもので、クラスメイトが休み時間フリスビーをしていたので仲間に入れてと言うと、
「人数オーバーだから無理。」こう言われて何も返すことが出来ずトイレで泣いていました。最初はこんな感じだったのが次第にひどくなってきてしまい、話しかけようとしたら逃げられ、たまたま服が被ってしまった時は「死ね。」と言われました。
言葉だけで危害を加えていないならまだ良いと思っていましたが、考えが甘かったのか、
ある日何もしていないのにいきなり頭を叩かれました。
びっくりして無言でいると叩いてきた子は
「ごめんね。痛かった?」
と聞いてきました。
もちろん痛かったのですが、どう抵抗して良いのか分からず無言で立ち尽くすだけでした。
それから度々私の頭を叩くようになりました。とうとう我慢できなくなったので、
「最近友達に叩かれるんだよね。」
と両親に言いました。
最初は驚いた顔をしてその後すぐに父は
「なんでやり返してこなかったんだ。」
いつも父は私にこう言うのです。
母は「わざと大声で泣けばよかったのに。」
そんなのできるかと思い、やはり相談しても意味が無いんだと痛感しました。
前々から、私が学校から帰ってきて、
「今日無視された。」
「仲間はずれにされた。」と言うと、母は
「あなたが変わるしかないんだよ。」
としか言いませんでした。当時の私にはなんの励みにもなりませんでした。
「なんで母はいじめてる人の肩を持つんだろう。」
「なんで私に注意するんだろう、私は悪いこと何もしてないのに。」と思っていました。
先生に相談しても曖昧な答えが多く解決には繋がりませんでした。
こんな日々を送っているとふと思いつきました。
「私は両親も先生にも負担をかけている。どんどん周りの人がマイナス思考になってしまう。」と思いました。
「だったら私なんか居なくなればいいじゃん。」という思いが大きくなっていきました。
ある日、お兄ちゃんは部活に行って、両親は買い物に出かけている時自殺しようと考えました。遺書を書こうと思い今までされたこと全部書いてやろうと企みました。でもそれは単なる逃げではないかと思い、そのまま窓の外に出て落ちようとしました。
その時ちょうど両親が帰っきたので未遂で終わりました。
それからというもの、生きていて意味が無いという思いが強くなりました。ストレスのやり場がなくなると、自傷行為を始めてしまいました。
私は左手の親指の爪が2枚剥がれています。
自分は最初これが自傷行為だと知りませんでした。ですが私の手を見て父は「普通そんな爪の人と友達になりたくない。」と言われてしまいました。
でもまた学校でいじめられたと言うと怒るので、誰にも迷惑かけたくないと思って始めたことなのに、なぜそのようなこと言うのだろうと苛立ちました。もちろん自傷行為は辞めることができず、このような生活を送り続け、大嫌いだった小学校を卒業して中学生になりました。
ここまでの話を聞いて、可哀想だとか切ないとか思う人が多いと思います。ですが、私は中学校は楽しく過ごしたいし、もう小学校のような思いはしたくないと思っていました。私は新しいことにチャレンジしたくて、勇気を振り絞って陸上部に入部しました。
入部当初もちろん1番足が遅かったです。
勉強の成績も下から数えて13番目でした。
そこで私よりも私のために努力してくれたのが両親と顧問の先生です。
中学2年生になって成績は30位以上あげることが出来ました。
運動も部活で鍛えたおかげで学年で1番2番を争うほどの速さになりました。
新しく大事な友達も増えて先生からも構われるようになり明るくなりました。
ですが、今まで勉強もスポーツも出来なかったやつが調子に乗り出したという風潮になりました。1番ショックだったのがテストの順位が一緒の人に
「お前と一緒だったこと親に言ったら泣かれたわ」と言われたことです。
最初意味が分かりませんでしたが、よくよく考えるとこんなやつと順位が一緒なのが切ないという意味なのでしょう。
今までは勉強も運動もできなかった私をいじめていたくせに、努力したら努力したでまたいじめられるのか、私の事がただ気に食わないだけなんだと確信しました。もう放っておこうと思いました。
ですが、中学3年生の最後の体育祭で全員リレーを組む時に
「別にお前いなくても勝てる。」と言われました。
恐らく何も考えずに言った言葉なんだと思います。ですが陸上部に入ってたくさん練習して、やっとクラスの女子の中で1番速くなれたのに、このように言われてショックでした。
もちろん体育祭は全力で走りましたが、未だに言われた印象の方が大きいです。
受験シーズンも「お前絶対受かんない。」と言われてしまい、少し自分でも思っていたのでかなり刺さりました。つい1、2年前まで絶対受からない成績だったので、言われても否定することが出来ませんでした。
絶対に合格してやると思い、ありがたいことに志望校に受かることが出来ました。 |